タイトルの「負けないぞ未来」というのは、うる覚えなんですが、吉増剛造の初期の詩に書かれた、一節だったような気がする。と言う事で、自分ではそうでもなくても、他人に暗く見なされる事については、本当はもう書きたくない気分で、いく!
とは、言え既に過去にあった気分を隠しても、意味がないと思う。でもね、それに先日までの気分を通じて、やっと分かった歌もあるです。友部正人さんの「涙」という歌。一方的にファンなだけですが、友部さんは僕が最も敬愛する素晴らしいミュージシャンの一人なのです。
その涙という曲の一部を引用すれば、「向こうのホームに君がいて/こっちのホームにぼくがいる/二人の行き先が反対だったら/ぼくら仲直りできた//だけどぼくらは一緒のホームで/同じ電車を待ってた/それでぼくらは口がきけずに/涙ばっかりこぼれた」ずっと聞いてきて、自分に訪れた変化を受け入れて、たまたまふと歌をそらんじながら思い出していたら、それが一歩自分の奥に進んで来たようにして、理解ができた歌というのは、この歌が初めてでした。
おい俺!!
まだシミッタレとるやんかいさ!!
ああそうよ、それを肴に酒が飲みたいだけかもね!!
でも、平行して恋のバッティングセンターにも通っとるからね!!
昨日中井君とスカイプで打ち合せをしていた。彼はリスニングオーディオ制作のプロで、ミュージシャンだけど、その中で思った事があった。音、または音楽におけるS/Nというのは、シグナルが0の時のノイズは客観的に観測できるけど、シグナルが存在する瞬間から、その双方の境界は、主観的なものになる気がするです。だからシグナルを定義する主観によってノイズも当然変わる。例えば、いわゆる音としてノイズがあるという場合、それはシグナルと同様、ノイズも波形の振幅を伴ってある。ですので極論、主観以外で、その振幅だけを見て、シグナルとノイズの選択はできない。だからある極端な定義をして全ての振幅をノイズ扱いにすれば、直流こそがシグナルとなる。つまり無音。定義を変えて、ある種の運動性をもった振幅をシグナルとすれば、そこから外れるものはノイズとなる。でね、思ったのは、シグナルノイズを切り分ける、この主観こそが音楽なのだろうというロマンチックも言うて見る。こんな事は先に誰かが考えてるだろうし、科学的な実験の手続きであれば当たり前の事なのだろうけど、自分にとっては深夜の目覚めだったりした。
後は仕事忙殺、三茶で飲んだり×2という感じの日々。
免許の更新行かなけりゃだったりなのに、明日から一泊で大阪。自分に幸運を。