毎日が同じような僕にも、
この今日と明日は、僕にとっては特別な両日となる。
家が終わる日で、部屋が始まる日。
さようならで、そしてこんにちわ。
そんでもって全てに感謝。
僕が時に痛々しく見えてもそれは傷ではなくて、
生まれたての不自由さのようなもの、
世界との関わり方をこの歳になって模索しているという
たどたどしさと思って頂いてかまわない。
さしずめ、ここは僕自身の痰壷のような場所と化しつつあるなと思う。
読まれた皆様、ほんとすみません。
ある男の心的調律の為、設置されたどどめいろの痰壷だと思ってお許しください。
許せるかい!!
というのごもっとも、しかしながら、何の為?と聞かれても、それは困る。最初はこんなつもりで書き始めたんじゃなかったんだから。だったら辞めればと言われたらこう答える。自分についてはともかく、他人に関る事についてはある程度、客観性を持って書いてますから、僕が聞いた、または経験した事実から大幅に間違っていることはないはずです。なお書いた事実、情報源が間違っていた場合は訂正します。お申し付けくださいと断った上で、書くのも書かないのも僕の自由ですという。
そして昨日あった事は僕の波は、今日の夕方に解消した。「頼むし普通にしてくれや。どうせもうすぐ終わるやん。ハキダメみたいな時間に巻き戻してどないするつもりや。このアホが、時間を進めさせてくれや、このノータリンのクソボケが。」と、ふて寝をしているあいつに言ったら、言った自分の台詞に笑えて来た。あいつも途中から笑っていた。時に相手を罵倒する台詞を言おうとし、なるだけ過剰に罵倒しようと言葉を探した結果、滑稽な組み合わせで言葉を投げつける事がある。それはどんな雰囲気を台無しにするくらいのユーモアを持っていることがある。僕はこれで良かった。笑う事さえ出来れば、僕は救われる気分がした。僕も人の事は言えない程度には、自己中心的な人間だと思う。なぜなら、僕は結局、笑いたかっただけだったから。
だが、昨日に書いた事は嘘でなく、その時は本当にそう思った事だから書いた事は消しやしない。
ある一定の一方的に下降しがちなダイナミズムをはらみながら、グダグダでボロボロで、でも前向きに這って行くような自分の時間は遅い。絶えず逆行しようとする。それに逆らうのは時に困難な事だ。だが笑うことが少しその問題を和らげてくれることがある。ひさぶりにバフチンの本でも読もうかと言う気分になったが引越がめんどくさくて、それどころでなく大変お困りの自分。
と、その一昨日前。
以前、大阪での展示でお世話になった伊藤桂司さんと飲みにいった。色々と話してベロベロになって渋谷から始まって三宿にいた。とても楽しい時間だった。翌日、二日酔い、やっぱ立ち飲みはきくっす。ほんと楽しかったです。感謝!!ありがとうございます。
その昼間には引越屋も決めた。随分と値切った、値切り交渉は僕の好きな事のひとつ。ただし片付けは全然進んでいない。
人に会い色々と話して、着実にひとつひとつを終えていっている今。昨日家と呼べない場所で起こったような、嗚咽のような気分は、正直もう味わいたくない。なぜなら僕は前を向いているのだし、それを他人に邪魔をされたくない。他人なら他人らしくフェアに接しろといいたい。俺の気遣いを無言のまま期待するな。俺がそれに反応したら俺の倍凹んだふりをするな。正直、お前のそういう所は他人としてさえ大嫌いだ。頼む、俺のここを、もう少しだけ、静かに終わらせてくれ。早く次の場所に行きたいと、心底思う。
昨晩、心がポキリと折れた。シガーチョコのように軽くて脆くなっていたのか、心は軽い音を立てて折れた。別にこの半年に比べれば、さして何があったわけでもない、後少しの時間、同じ空間にいる人からその時に伝わった、僕を疎外したい気分がそうさせた。もう、こうなると、僕は本当に、なにも手が動かなくなる。
彼女は、この半年、どんな約束も守らなかったし、今だってそうだ。自分の都合の悪い事になると、すぐに顔を曇らせ自分の意思を主張する事を怠らない。それを見て自由な人だなと思う。この半年、僕があいつを憎めれば殺すことさえ出来たかもしれないが、そんなふうに憎めもしなかった。ただ自分が壊れていく時間だけが過ぎた。そのぶんあいつも壊れただろうし、そう主張もされた。ただし、あいつには逃げる場所もあったが、僕がどんな逃げ場所も失った事だけは確かだった。そして呆然としていた。ただある日に、それを受け入れることを誓って部屋を出て、残された時間をフィクションのようだったが随分と楽しく過ごしていた。でもそれで十分だった。
昨日の彼女の勝手を責める訳でもない、よくあることだ、些細なこと、かすかに触れられたもので僕だけがポキリと折れたのだ。だけれども、もう僕が同じ場所には戻れないこと、戻りたいと思わないことを知りながら、一体あいつは何で、こういう気分を、僕に伝えたのだろうか。ただ、夜ご飯を食べていた。不機嫌そうな顔をした彼女に、もう他人になった自分とご飯を食べることが、そんなに嫌なのかなと聞いた。嫌ならそう言えばいい、だったら僕は外でご飯を食べてくる。それに言わせてもらえば、僕もお前という他人のせいで全ての場所を失ったのだと言った。そしてどうしようもない気分で眠った。だけれども起きても心は折れたままだった。もしかしたら元から折れていたのかもしれない。
来月から住んだ事もない街に住む。今やっている仕事だけに関して言えばコストと時間面でのリスクは大きくなるだけ。だが、そう決めたのは、この今いる東京にあいつと共犯でありながら、誠実に僕が話す声にさえ怯え、電話を通してさえ僕と話しも出来ないヘタレの男の声が「ある」ということを思うと、こんなクソ忌々しい場所にはいたくないと思ったからだ。後の理由は、それを事後に正当化する為に付け足したにすぎない。自分が傷つきたくないからって、他人を生殺しにし、それで自分がやさしいと思い込んでいるような、クソの声が「ある」場所にいたら、俺の誓いが報われない。もう誰も憎まない、この事で悲しまないと決めていたはずなのに、嗚咽のように込み上げて、僕を締め上げるこの気持ちはなんだろうと思う。僕に彼女を私有したいという欲なんかもうないのに、なんやねんこの気持ち、ほんまけったくそ悪いわ。
今日のこれは愚痴です。眠りは心を濾過してはくれず、最悪の気分のまま目が覚めたという日。
新潟での展示風景を更新しましたので、左exhibitionからご覧頂けます。
しかし、僕が書いたものでも、額装すると立派になるものだと感心する。普段デザイン仕事をしている事が多いから、平面ではデザイン以外の事をしたいと思っているが、その以外っていうのがくせ者で曖昧。ただ構成する恣意が強く働きすぎると、なんとなく先行きが見えて心持ちげんなりするので、そういう気分になると画面を壊す。で、ある時点でストップさせる。でも最後に額に入っておさまりがよくなるのだけは、なんか許せるし、納得できる。良い服を着せてもらいましたね。それでは行ってらっしゃい。また、いつかどこかで会いましょう、という気分になる。
昨日眠る時に、本棚にさしたまま、ずっと読まなかった福永武彦の「海市」を読もうとして開いたが、その瞬間一頁もめくらずに寝ていた自分。海市とは蜃気楼の異称らしいが、蜃気楼は見ずに、僕は僕の夢の中にいて、なんとも困った内容の夢なんかを見たりもしていた。それで起きて蜃気楼を見に行きたいと思ったりもした。
僕は大阪に来月から拠点をうつす。今後も東京とは頻繁に行ったり来たりをするつもりなのだが、ひとまず大阪に住む事にして物件も決めた。だが移動、引越については、実は何の用意も出来ていない。極力荷物は減らして何も持たずに行きたいと思っているが、戸棚をひっくり返すと、なんかよく分からないガラクタばかりでてきて、それを眺めながら、これ、、いつ買ったやつやっけ? これ何? って、笑って話したりしている。もうこの10年に撮って人が写った写真は一枚もなくなっているので、それを悩むことはない。だから、そのガラクタだけを、これはお前これは俺という、仕訳作業を深夜に少しした。でもまだ未決の物が山のようにあることは見ない事にしている。人生で7回目の引越、ラッキーセブン。京都には長く住んだが、大阪は初めて。初めて住む土地での、未だ見ぬ見ぬ生活。海市のようにおぼろげで、それはゆらいで見えたりもするが、そこに船を進めることを自分が躊躇いはしないということだけは分かっている。
かつて地球が丸いって分かって、宗教上の理由以外で、その「狭さ」に故に、がっくりした人はどのくらいいるのだろうか。人がぐるりと手をつないで世界の平和を願うイメージができる程に地球は狭い。船を無限に漕ぎ出せば、ここに幾度も辿り着いてしまうという、その丸さ。その狭さをできるだけ広く感じる方法だけを、最近は考えているように思う。
最近何も書いていなかったのは、とても忙しかったからで、仕事やらなんやらそれやら、それは悩殺にあらず忙殺。
東京京都のトンボ帰りでライブ。共演者の中ではyabemilkくんのライブが好みでした。自分とは全く違うスタイルですが、やっぱ地力があると思ったし、なにより説得力のある出音やと思いました。自分は?というと具体音のみのセットで結局やった。システムはマスターブラスターSP4が2chに、フロント2chローボックスに、10w程度のギターアンプをフルテンセッティングで、2つ追加して点音源として使用。全体としてはまずまず。自分で少し満足できる内容だった。こうやってパフォーマンスを続けながら、インプロながらも一つのセットを追い込んで行くという方向性が性分にあっている気した。今までは一回性のモデル化という意識を持ってパフォーマンスを継続してきましたが、その中で見えて来た事を分化して、今後ちょっとセットを幾つかに分けようかと思ってます。どうせ数年後には自爆してるだろうし、その時それはまた組み直せば良いだけだろうし、ドラフトやめて前進を少し心がけることにしようかと思った京都。リハ当日入り、ライブ終わり、田村さん家に泊まらせてもらってshin-biに一緒に出勤して、下のカフェで色々話しながら昼ご飯をご一緒して東京へ戻るの巻。田村さんが「もしかすると、すごく良かったかもしれん」だったかな、とライブ直後、はける時にボソッと話されたのが嬉しかった。
次月もshin-biで、やらせてもらうけどその時は、アナログ爆音セットでやろうかな。。と、先に書いた事と違う事も書いている自分。ともかく田村さん、共演者の方、聞きに来て頂いた皆様、ありがとうございました。感謝。
帰って一度家へ戻り仕事と雑務を片づけて、evala君の落合Soupでのライブに行く。伊藤さん等のパフォーマンスは見逃したのだけれども、何とかevala君の出番には間に合った。システムはターボサウンドのSR、ミッドハイ4chフロントにローボックス2ch。チャンデバやアンプ等は見逃していた。あのSPはパワードじゃないと思うんだけど、確認してません。比較的小さな箱だが、そこに広帯域で十分なエネルギー量で満たされる音。そこにあった音、位相、ダイナミクスの選択の全てが彼らしいと思ったし、ずっと聞いて来てなお、いややっぱりとても好きな音だと思った。それとそれらが僕の耳に届いて響いてちょっと感動した。そしてアンコールを求められるラップトップのライブも初めて見た。皆知ってるやろコマンドQでプログラム閉じてる事ぐらい(笑)。でも、皆分かっていても言いたくなるくらい、それぐらい内容が素晴らしかったということなのだと思う。それは本当に素晴らしい事だと思う。
それと、6月にとある素敵なコンサートの音響面での手伝いをする予定。またリリースが許可された時点で告知をします。
この多忙さにおいても、出現するふとした時の自分の意識の怠惰を、本当にチューニングしたい。来月からは住んだ事のない街に行く。今の所、そこでの計画の具体性はあまりない。ただ、そこで僕は僕を整理し、今後の自分を自分で決めるのだと思っている。一つ決めたキーワードは「tent」。ノマドとか遊牧とかそういう流暢になってしまったアカデミックな記号ではなく、自分の身丈にあっているのは、なんとなくテント。そういやそれで名刺を作りなおさなきゃなんだね。
タイトルの「負けないぞ未来」というのは、うる覚えなんですが、吉増剛造の初期の詩に書かれた、一節だったような気がする。と言う事で、自分ではそうでもなくても、他人に暗く見なされる事については、本当はもう書きたくない気分で、いく!
とは、言え既に過去にあった気分を隠しても、意味がないと思う。でもね、それに先日までの気分を通じて、やっと分かった歌もあるです。友部正人さんの「涙」という歌。一方的にファンなだけですが、友部さんは僕が最も敬愛する素晴らしいミュージシャンの一人なのです。
その涙という曲の一部を引用すれば、「向こうのホームに君がいて/こっちのホームにぼくがいる/二人の行き先が反対だったら/ぼくら仲直りできた//だけどぼくらは一緒のホームで/同じ電車を待ってた/それでぼくらは口がきけずに/涙ばっかりこぼれた」ずっと聞いてきて、自分に訪れた変化を受け入れて、たまたまふと歌をそらんじながら思い出していたら、それが一歩自分の奥に進んで来たようにして、理解ができた歌というのは、この歌が初めてでした。
おい俺!!
まだシミッタレとるやんかいさ!!
ああそうよ、それを肴に酒が飲みたいだけかもね!!
でも、平行して恋のバッティングセンターにも通っとるからね!!
昨日中井君とスカイプで打ち合せをしていた。彼はリスニングオーディオ制作のプロで、ミュージシャンだけど、その中で思った事があった。音、または音楽におけるS/Nというのは、シグナルが0の時のノイズは客観的に観測できるけど、シグナルが存在する瞬間から、その双方の境界は、主観的なものになる気がするです。だからシグナルを定義する主観によってノイズも当然変わる。例えば、いわゆる音としてノイズがあるという場合、それはシグナルと同様、ノイズも波形の振幅を伴ってある。ですので極論、主観以外で、その振幅だけを見て、シグナルとノイズの選択はできない。だからある極端な定義をして全ての振幅をノイズ扱いにすれば、直流こそがシグナルとなる。つまり無音。定義を変えて、ある種の運動性をもった振幅をシグナルとすれば、そこから外れるものはノイズとなる。でね、思ったのは、シグナルノイズを切り分ける、この主観こそが音楽なのだろうというロマンチックも言うて見る。こんな事は先に誰かが考えてるだろうし、科学的な実験の手続きであれば当たり前の事なのだろうけど、自分にとっては深夜の目覚めだったりした。
後は仕事忙殺、三茶で飲んだり×2という感じの日々。
免許の更新行かなけりゃだったりなのに、明日から一泊で大阪。自分に幸運を。
これは詩ではなくて、ただ書いたものです。
僕から見ると、
この取り返しの付かない場所、
もう生活がこぼれた落ちた、割れた家で、
君は影を半分身にまとい、
それを僕に見せながら足を引きずりながら歩き出し、
僕は君に笑顔だけを見せるように
笑い泣きながら疾走を始める
君から見ると、
僕はどう見えているのだろうと思う。
ただ、お互いの両足は、選択によって捧げされる以外は、
他の誰のものではなく、
それぞれの歩みの為のものであって欲しいと思う。
京都shin-biで開催される、以下のコンサートに出演します。
当日の自分の内容ですが、最近試行錯誤しながらパフォーマンスで使っている、その場で発生させた具体音を音源にしたセットを中心にやろうと思っています。
Title / もぐらのプレゼンテーション
Date / 2010.4.16 fri. 19:00open 19:30start
Place / shin-bi 京都市下京区烏丸通四条下ル水銀屋町620番地 COCON烏丸 3F
Charge / Adv.1800円 Door.2300円
出演 / Yabemilk, しんせき, yoshihide nakajima, もぐらが一周するまで
詳細はこちらから
新潟であった事のメモ。
その場所は、僕と既に他人になった人とも縁の深い場所だった。だから不思議な気分で行く準備をしていた。会期が始まる朝、始発の新幹線に乗って行く予定だった。だが、作業場を出る前に障害があり、始発の次の電車に乗ることになる。次の電車は始発の時間の1時間後だったので、これで開場の1時間前にしか到着できなくなった。2時間あった搬入時間が1時間になった。乗車する電車の名前のMAXトキを複雑な名前だなと思いながら東京駅から乗り込む。全く眠らずに向かったので燕三条あたりで眠りはじめて、気がついたら新潟駅だった。改札を出ると会場の大倉さんと舞踏家の堀川さんが待ってくれていた。そこから車に乗せてもらって会場へ向かう。会場では井上さんが待ってくれていて、早速、手持ちで持って行った荷を解いて、床に広げ壁にかけていく。今回の支持体は基本は紙、他の4点はパネルだった。会場は古い街屋を改装、移築した1階にあって、壁は土壁や漆喰でできている。僕は疲れと、なんだかよく分からない到着が遅れた理由への苛立と、申し訳ない気分で一杯で、ただ呆然としていた。
普段は展示を自分の指示で全てやる。図面をひいていくか、現場で調整し、かけられるだけの時間をかけて、自分の目が納得いくまで、それをやる事が多い。展示の技法は、展示そのものの中でとても重要だと思っていた。でも、今回は人の目と手に委ねた。なんとなく、この方々になら委ねてもいいと思えた。今回、その判断ができたのも、この展示までの僕が過ごした半年の時間が関係しているのかもしれない。会場の30分前になっても、まだ作業は終わっていないかった。堀川さんは、わざわざ僕の絵を見てから行く為に、パリ行きを一日遅らせて、さらに搬入まで手伝ってくださった。幾つか、置き場所に理由のあるものだけ数点を「ここにしてください」とお願いして、それ以外は絵の天地さえもお任せしたものもあった。見えるように、また見られるように見られていいと思った。
最後にキャプションとプライスリストを作った。価格も「動く値段で」とだけお願いした。僕は今自分の書いたものが人の手に渡ることを重要だと思っている。アカデミックな履歴も、賞歴も、出版物も、媒体への露出もない、僕の絵が買われるという事は大変な事だと知っている。つまり購買の根拠が、絵そのものか、この僕自身にしかなく、過去に何もそれの価値を担保することがないのだ。未来?それもその人が信じなくてはいけない。だから難しいという事だということを知っている。実際、僕が平面の制作を続けているのは、最初にやった展示から、全く縁もゆかりもない他人に物が売れたという事が大きい。その時に初めて、ある個人が持つ有限の空間に自分の作ったものが体積を占めるという事態を経験した。この快楽がまず大きく、それと担保されていない価値への対価としてのお金を支払った人への責任として制作を続けている部分があるように思う。だから「動く値段で」と言った。そう言った僕はそうすることを言い訳に、本当は書く事を続けたいのだと思う。
そして開場の時間になった。僕はすっかり疲れきっていたので、宿泊先となる2階で眠っていた。ずいぶんと眠っていた。そこからほとんど毎日昼間は、お客さんと話しをして、夜は持って来た仕事と最終日のコンサートの準備をして過ごす。僕はピグメントから自分で作ってやっているので、特に技術的な会話が多い。だが何を書かれているのかと聞かれると、やや不誠実かな、、と思われる答えしか持っていないので実はとても困る。僕にとってモチーフは結果もしくは借り物で、それを構成する線に可能な限り運動のバリエーションをあたえ、その運動性をとどめるという一点にしか自分の興味はない。だが、そこまで説明しても、さらに何を書いているのか?と聞かれると全く答えはない。線?点?ぐらいにしか答えようがない。僕にとって音も平面もそれ自体を考える装置なのだ。それが故に自律的であるといえば聞こえはいいが、単純に僕はそれをすることによってしか、それを考えることができないということでもある。結局は口当たりの良い部分だけを選んで言うことはできず苦い部分まで話す事しかできなかった。それで良かったのかどうかなのかわからない。でも、不思議と自分が考えていたより物が売れていく。感謝もありながら、不思議もあった。
一人の女性が茶色い画面を4時間も見て、お買い上げを決められた。割と大きな画面だった。それが青に見えると話されていた。金属の粒子と保護ニスと外光の関係だろうと僕は言ったが、青みに見える事を繰り返し話された。そして見る時間を経て、それは僕には見えない、それ以上の何かになったのだと思った。その方の中で、もしかすると意味を持ったのかもしれないとも思った。
毎日、新潟に住まれている方が驚かれる程、天候は不順で寒い日が続いた。ともすれば布団から出るのがおっくうになって、布団にはいったまま仕事をしていた。ある日砂丘舘で音楽のイベントがあった、自分のイベントの下見もかねて会場に向かう。sawakoちゃんとは10年ぶりくらいに話す。jitter使いになっていてびっくりしたけど絵心のあるjitterだなと感じ、それがとても良かった。ラジオゾンデの青木さんとも東京で会って以来話したりした。そして、その日は大倉さんの誕生日でもあった。帰りにラーメン屋の変わった座敷で誕生日を祝う。餃子にローソクでもなどと冗談をいいながら、雪の降る寒い日に、あったかいラーメンでお祝いをした。
詩人の吉田さんが新潟に来られ、見に来てくださった。大倉さんと3人でリュートピアで舞台を見て、食事をし、お酒を飲んだ。お酒を飲んだのがジャズのお店だったので、僕はエリック・ドルフィーが聞きたくなってお願いした、それが探し出されるまでしばらくBarbaraが流れていて、ドルフィーがかかり、またBarbaraが流れていた。そして最後にはなぜかドドイツ。たくさんお話しをさせて頂いた。随分先輩のお二人に、こんな話しをしていていいのかと思いながら、言葉と話題を選ばずに話しをさせていただいた。とても楽しい夜だった。
最終日は春のようにあたたかかった。その日砂丘舘の蔵でコンサートを行った。PAをANTI MUSICの円秀さんにご協力頂いた。蔵に4chのスピーカーをいれ、ローボックスまでいれたので、音量はそこでそれまでで開催されたイベントの中で一番大きかっただろうと思う。僕はリアルタイムで集音した具体音の位相等を操作しながら空間で音を作り、一部を除けば弱音でのセットで演奏を行った。共演はevala氏、ディーゼルギター氏。両人とも、僕の展示の関連イベントとして開催したのが、もったいないくらい素晴らしい内容のパフォーマンスだった。青く見える茶色い絵を買ってくださった女性もいらっしゃっていた。打ち上げをして酩酊。ご協力頂いた皆様には本当に感謝しております。
こうやって、僕の半年にあったことは、新潟の冬の最後の寒さの中で、ゆっくりと解かされていったように思う。正直、新作があまり書けなかった。筆で自分が許せる線がひけるようになったのは、会期が迫ってからだった。でも、自分勝手だけれども、それでも良かったと思っている。新作はとても小さいものしか用意できなかったけど、この場所で絵を壁にかけさせてもらって、そうして人と会って話して会期が終わった。片付けをしながら僕自身が、これから過去の半年ではなく、今を生きていくのだということを実感した。そして東京に戻った。