yoshihide nakajima
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2010.02.28
category ; diary

夕方から作業場を片づけていた。やっと少し結果が見えて来たけど疲れた。休憩がてら、コーヒーをいれてリンゴをひとつかじった。大きなリンゴだったのでそれなりに満足した。ごく小さな音でマオリの女性達が歌うレコードをかけて聴いている。片づけていたら、色々なものが段ボール箱から出てきた。それを見ているといくつかのアイデアを思いついた。後は時間との勝負か。しばらくしたら体力の限り徹夜しなければいけないことは覚悟の上。他にもshin-biでやったコイルを使った音の展示映像もまだ編集してウェブにアップしていないし、その装置そのもののアップデートもしないといけない。もう少しでとても面白いアウトプットができるのは見えているのに、どうしてやらないんだか、ほんと自分がもどかしい。

僕は、自分の事については、何をするにも愚鈍で、その上優柔不断。何の確信などない、だから迷走して「する」しかないのだと思う。

明日の夜は渋谷さんと清水靖晃さんのコンサートに行く予定。

2010.02.28
category ; diary

作業場の片付けが進まないのでサボリ中。

昨日、待ち合わせの時間つぶしで入った、本屋で高田順次の本を見つけた。アマゾンで買おうと思ったが、まだ買っていない。でも、たぶん、買ってしまうのだろう、俺。

高田と言えば、高田渡氏の「いかなくちゃ」を聞き「ながら」、「イノダ」に入った人はどのくらいいるのだろうか。それも「ながら」である。さらに「あの子」に会えた人はどのくらいいるのだろうか。僕はもっぱらうどんのように麺が太いボルセナとカツサンドを食べに行ってしまうという食いしん坊。

声・息が好きだと兼ねてから言ってはばからないが、「喉歌」という唱法がある。清水ミチコのファックスの真似の事ではない。特に有名なのはホーメイだが、イヌイットにもそのような「喉歌」がある。「喉歌」の詳細はWikiで確認を。以下はイヌイットの伝統的なものみたい。見つめ合いながら歌わなければならないというのは、自分がやるとなったら少し恥ずかしい気もするので、目があわないように少しだけずらして欲しいと思う。まあそんな機会はないのだろうけど。

Inuit Throat Singing
Kathy Keknek and Janet Aglukkaq

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2010.02.28
category ; diary

結局おおいいに酔ってしまった。よって、今日の制作はダメ。無理。不能。早朝から始めるか。道すがらクロソースキーの「ニーチェと悪循環」を読む。なぜかいつも自分の状態が変わる時に読む本はこれらだ。バタイユではなくクロソースキー、ましてやフーコーなんかではない。僕が迷った時には、モースとクロソースキーが少し助けてくれる。

僕はルーシーリーの最晩年の作品が好きだ。目が悪くなり、手が起用でなくなり、例えば淡谷のり子のようにも見えるフラワーベースがともて好きだ。プロポーションより整理の曖昧さが、女性らしくチャーミングでとてもきれいだと思う。美しさと美しいは違う、それはバーチャルとバーチャリティーのようなもので、僕は美しいより、美しさを感性として選びたい。酔っぱらいの戯言だけど。

民族、イデオロギー的な問題には触れずに言う。アイヌが持っていた世界理解の方法に、ある時期に興味を持った。それはとても個人的だけど、、僕自身の世界理解についての希望だった。アミニズムの定義も、縄文的という括りもよく分からないが、アイヌの神謡にある人と世界との関わり方はその当時の僕にとっては救いに思えた。ただし、そこで歌われた言葉の記録に関しては、リバーブとディレイで、音が「汚されている」ものが多すぎて、聞くべき音源が少なすぎると思う。安っぽい幻想が、音色に対して支配的な立場を取る事に、何の意味があるのだろうかと思う。ただ世界に発された声ならば、何をリバーブやディレイでプロセッシングする必要があるのだろう。声は空間に投げ出されてそれで消えて行く。記録するなら、できるだけ損失を少なく、そこであった現象を音源にしてほしいと本当に思う。記録という目的からすれば、空間に投げ出され消えるまでの瞬間の音を、その音がそう「なされた」意味についてこそ記録をしてほしいというは決して間違っていないと思う。僕にとっているかいないか分からないが、彼らの歌の聞き手の精霊が、決してなんな耳は持っていないだろうと思う。イオマンテの儀礼の途中、唐突に謡は止められるという。それは熊がその続きを聞きたくなるように、聞きたくなってまた人と関わるようにするだという(概要はだいたいあってると思うけど、詳細は自信がありませんが)。程度の大小こそあれ、カットアップとはこういう事だとも思う。

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2010.02.27
category ; diary

曇り。昨日夜は、打ち合せ数件すませた後酔っぱらう。傘を持っていなかったのでずぶ濡れになって帰宅。パソコンは防水リュックのおかげで無事。朝おきて宅急便の不在通知を発見する。保管期限がすぎていた。宅急便は家の前までは来ていたが、お帰りになられた。

さて、今日からやる。まず作業場の掃除をして、パネルに膠をひいて、水張りをするぞ。長いはロング、ネバーエンディングに果てしない。今からの予定。少し来週にやらなければならない仕事を先にしましょう。その後夜から友人に会いに行きましょう。そしてそれほど酔っぱらっていなかったら、その後徹夜で作業をしましょう。酔っぱらっていたら早朝に起きて作業をしましょう。

Ike Turnerが76歳で亡くなられていたというのを知った。映画にもなっていた事だし、色々な事情もあるのだろうけど。高校生の頃、少ない小遣いで買ったレコードを親のプレイヤーでならし、この曲を聞いてギターのトレモロの格好良さと、ヤスキヨ全盛期のような素敵なデュエットがあることを初めて知ったのだった。ご冥福を。

Ike and Tina Turner
It’s Gonna Work Out Fine

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自分では主にノイズやアンビエント(人に説明する時にはそのように言いますが別にカテゴリを意識した事もあまりないのですが)のようなものをやってはいますが、そういうものだけが音楽でないと当然思う訳で、どんな様式、非様式的な音楽でも好きなものは好きというだけ。ただし、どれも同じ耳で聞いていて、特別に聞き方の文法を変えて聞いている訳では全くない。

2010.02.26
category ; diary

ふらっと銀行へ行こうとすると、見た事のある光景が見た事のない形になっていた。家に車が突っ込んだというか、かすって止まったというのか、家の壁にはえぐれたように穴があいて、道路沿いにあった室外機がひしゃげ、植木が道路に土をまきちらしていた。土はひきづられて僕の家の前にまでのびていた。前にある駐車場には黒塗りのパトカーがいて、少しだけ人が集まっていた。僕はその側をのらりくらいと歩いて通り過ぎた。家の人に怪我はなかったように思えたし、車の人が大丈夫だったらと思った。ただ気になったのは、僕はそのような惨状が起こったことに、ちっとも気がつかなかったのである。きっと大きな音もしただろう。だけれども、ちっとも気がつかなかった。さてなぜだ、きっと果てしなく怠惰で鈍感だからだ。

仕事を一段落させ風呂にでも入って家を出る準備に取りかかろうかと思うが、そのような時にどんな音楽をかけるのだろうか。The Sallyangieが聞きたいと思った。Mike Oldfieldはチューブラー・ベルズも、ムーンライトシャドウも大好き。その彼が1967年に姉ちゃんと若い時にやっていたフォークデュオ。時々曇るようなテンション感や後半のケルティック?な展開がその後を感じさせるよな、でも1953年生まれの彼が14歳か15歳の時にやっていたデュオだと思うと感服。年齢なんか何の意味もございません。若者は常に勝つ。

The Sallyangie / Balloons

他、中学生の時に図書館から借りて以来大好きな曲。これipodで聞きながら風呂入ろうっと。

Fats Waller / I´m gonna sit right down and write myself a letter

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2010.02.25
category ; diary

最近日記のようなものを書くと毎日代わり映えのしない状態を言葉を変えて書いているだけなのでYoutubeとかを貼付けて気分を記すことにした。とした。

大学1年生の頃、北野天満宮の俗称「天神さん」と呼ばれる市で、何枚かのレコードを買った中から知った。サイモン・ジェフズ、僕が知った時にはもうこの世にはいなかった人だった。Wikiもなかったしライナーも抜け落ちていて何もなかったから、これが誰だか一体わからないかった。だかれども、いったい何回ここで買ったその12inchとLP数枚を聞いたか。ただし僕の学生の頃はハードロックが主流。末期であっても、その勢いははばからず、ニューウェーブのコピーバンドのメンバーを集める事さえままならなかったのは、それが関西やったからなんかな。一時期エレクトロニクスを使った楽音のものが、そのように形容されることが多かったように思うけど、僕は類似を訴えている点について、これに似ていると感じた事はただの一度もなかった。

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朝はしばらく落ち着いた気分で単調な作業に向かうかと思って、こういう気分。

2010.02.25
category ; diary

Ryan Larkinは、昨今のトリビュート?的な映画で知っている人も多いと思うが、人生において共感出来そうだけど、あまり人のやらない変わった選択をした人だったと思う。個人的には、WalkingよりSyrinxよいStreet Musiqueが好きです。アニメーションをアニメーションたらしめている一つの理由は「動く」、または「動いている」という快楽にある違いない。ストーリーやそんなことは二の次で良い事も多い。そこでは動く事はバリエーションを跨ぎながら変わる事であり、それはそこではただの普通にある自由なのだと感じた。

Street Musique

Walking

Syrinx

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2010.02.24
category ; diary

永遠のテーマの一つ、それはメンボである。常に不足がちなボイスについては、飲んで話して話題がなくなれば、常におらんかなーと思ったりすることが少なくはない。

しかしながら、メンボにメンボした人はいるのだろうか。少なくとも私はない。でも求人ってメンボか。それならある。だがバンドに限って、例えば「当方バタフライ出来ません。平泳ぎは得意。ボーカルパート募集、50メートルノンブレスで泳げる方、特に潜水が得意な方希望」と書かれていたとする。さて、募集は成功するのだろうか。成功したとしてもバンド名はどうなるのだろうか?「スイマーズ」なら許せる。「ハイレグ」でもいいだろう。でも「岡本夏生達」の一員になるのは抵抗があるので、こういうメンボは辞めた方がいいと思う。でも死ぬまでに一度は出してみたいメンボ。

でも、ハローワークの求人票を、正式に「メンボ」と読んでもいいのではないかと思う。それで何も弊害はないだろうから、そうしてもええんちゃうんと思う。

例えばOskar Schlemmerのこういうのは、どういうメンボで募ればいいのだろうか。

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2010.02.24
category ; diary

曇り的朝。強引に眠ったので嫌な夢を見た。危機的な状況があらゆるバリエーションで襲いかかってくる。安物短編サイコ10本立てのようなラッシュ感のある夢。だから、クスクスを食べてしまったんだね。許す。さて、「もたれ」にも二種類以上のものがある。一つは今日ぼくのここにある案の定の胃「もたれ」のような怠さをともない。または背「もたれ」のような安楽をもたらす。そう思っていると、かつて読んだ「倚りかからず」という茨木のり子さんの詩集を思い出した。

グッドモーニング自分。お前が朝からやる事は仕事、仕事の次に制作、DMの発送の準備だということを忘れるな。作業に入る前にCDでVladimir Vysotskyを聞いたら、パワーありすぎて3曲で萎えた。ロシアのエルビス恐るべし。

この人の声が誰に似てるなと思っていたら、どことなく友川かずきさんみたいだなと思った。初めて自分以外のYoutubeを貼ってみる。問題はあると思うがええか。問題があったら言うて下さい。友川かずきさんを撮影しているヴィンセントムーンさんは、コンセプトやハンドカメラ一本のカメラワークや編集もさることながら、何よりマイキングがうまいと思と感じる。

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2010.02.24
category ; diary

ジーザス!腹がはちきれそうだ。一度寝て起きて腹が減ったからって、カレーを作って、量を間違えたクスクスにかけて食ったから、こんなことになったのだ。ヤメリカ人のように言ってみた。ムカムカしてるので導入剤でも流し込んで寝てみるかと思ったが、起きたときの胃もたれを考えると、それも考えものだと思ったが、そうすることにする。

「太郎、太郎/犬吠の太郎、馬鹿の太郎」で始まるのは、高村光太郎の「犬吠の太郎」という詩。前はあまり好きではなかったのだけれど、今は少しこういう心情とも距離を持ちながらも読めるようになったことに気がついた。最後に缶をたたくオノマトペが、力なさ満開でブルーズ。なんとなくウォッシュタブベースみたいで、ニューオーリンズで日本海みたい。太郎は、海に勝てるんだって。たぶん勝てるんだって。きっと勝てるんだって。ああ、勝てるともと言ってあげたい。

「砕け散るものの中の平和」、「荒れ騒ぐ無限」などのミショーの邦訳タイトルにはいつもグッとくるのだけれども、誤解を恐れずに言えば、メスカリン接種時代のミショーは、どれを読んでも同じような様相をしていると感じていた。それ以来あまり読んでいないので現在の感想ではない。青土社から出ていた全集も引越で売ったけれど、次の引越の機会にもう一回買って読んでみようなかとも思う。

オースターはミショーはある意味でいかなるフランス詩人よりもシュルレアリストだといえるが、運動自体にはまったくかかわっていないといい。/絵画を「忌まわしい現実の反復」だとして嫌悪していたらしく/クレーやエルンストらの作品に触れ、対象の再現にとどまらない絵画の可能性に目覚め、絵の制作にも創作意欲を向けるようになったようで/ミショーは、詩を書く絵を描くことの双方が創作において重要な位置を占めるようになったのであり/書かれた文字は「ねばねばする相棒」「すべてがあとから、あとからやってくるもの」/デッサンは「生まれたばかりのもの、生まれつつある状態、無心と驚きの状態にあるもの」だと言ったという。(全部Wikiから引用してちょこっと編集)

ドローイングに関しては、彼は中学生の事からの僕のアイドルだったのだが、Wikiでの最後の箇所はほんまその通り共感します。そう思って寝る。

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