小学生の頃、夜が長い季節、寒くてシンチレーションの小さい日に、よくベランダから空にカメラを向けて、星を静止撮影したこと。隣が大きな工場だったので、夜にガードマンがこちらを懐中電灯で照らすと、フィルムの上に数時間かけてできた星の軌跡は、誰にも見られることなく消える。赤道儀がついた望遠鏡が欲しかったが、自分の物にはならず、星好きが集まるサークルのようなものに入って、そこで使わせてもらっていた。僕自身は、星が好きだったというよりレンズやフィルムが好きだったのだろう今思い返して思う。暗くて見えないものを時間をかけて光を集めて定着させたり、フィルターで特定の色を集めたり、そういうことに興味があったのだと思う。ほとんどの個々の恒星は、ここから眺めると遠すぎて、それ自体は陰影を持たない、ただの光の固まりだった。ということを、思い出した。
東京に帰ってきてからやった仕事の一つ。先日リリースされたもの。space portから発売された24節気72候のカレンダー。字を華雪が書いて、僕がデザインをした。漢文をひらいた時にあらわれる透明なひびきを新鮮に感じた。このような恣意のない透明な響きは、僕が聞きたかった音のひとつなのだった。これは、もとは中国から輸入されて改訂をされてきた暦で、季節の変化や変化の予兆を示す現象が、とても平易な言葉であらわされている。暦に書かれた、いつ何の花が咲き、何が枯れるといった風な事は、現在も同じようにあるのだという。
これは、think the earthの「えこよみ」というプロジェクトの一環として制作され、発売にあたっては、詩人の谷川俊太郎さんから帯文を頂いた。
こちらでお求め頂けます。
http://thinktheearth-shop.com/SHOP/0085.html
僕は、静かで簡素だが明らかで必要以上の恣意を拭った言葉の、その透明な向う側に鮮やかでなまなましい存在を感じることが多いように思う。
東京に帰って、色々とあった。
そういう気忙しい中で、普通に過ごしていると、しなくてはいくけないことや、言わなくてはいけないお礼も、おなざりになって、時間だけがすぎていく。これは捨て置けない事態だし、感心もできな い。ましてや、自分のホームページについては、筆無精なのでなおさら。更新が面倒なのでWordPressにして、携帯からも「放り投げる事」ができるようにして、そういうちょっとした便利さに自分をおいて、自分と時間とを関係させたいと思った。ともあれ、全ては自分の根深い箇所からの問題だから、この程度ではどうにもならんかもーしれん。iphoneも電波不自由なただの携帯にしか使って無かったので、それもあってやってみる。ついでにTwitterもやってみたけど、あまり自分が人に言えることをつぶやかないことに気がついた。
少しは情報も整理したから、もしよろしければ御笑覧くださいませ。とまあ、気がついたら写真の補正を色がついたレンズの眼鏡をかけたままやってしまっていたというのも、また自分やがなーーーーーって。。。これはよくやるのです。徹夜して作業したものを、確認で見ておかしいなこんな色じゃない!と思ったら、昨晩から自分と一体化したまんまの、めーーーーがーーーーーねーーーーーなのである。脈絡ないけど、朝、駅前のコンビニに行く途中で、黄色い蝶を見た。たぶんキチョウかモンキチョウだと思う。しかしキチョウやモンキチョウって名前言いにくないか?と思いながら歩いていた。絶対、シロチョウとか、モンシロチョウの方を先に思いついたやろ、と思う。憶測でしかない。
ネルーダの詩の翻訳をYさんがされて、その本が出版の予定とのこと。東京ではその挿画をされる作家の方の展示が開催されるようで行こうと思う。ちなみに新潟ではお二人で展示をされるという。