yoshihide nakajima
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2008.11.09
category ; diary

さて、唐突だが道で見たのだ。夜中、道で電話をして、電話を切り、立ち止まっていたら、道を横切ってやってくるものがあった。顔と手は薄いピンク色で、体のほとんどの部分は毛でおおわれている。毛でおおわれた尻尾もわりと長い。『「ねずみ」さん、あら、こんにちわ』

これは出会いの瞬間である。彼は、道の中央で立ち止まり、もう一度こちらにやってきて、僕の靴の先に鼻を押し宛てて、うずくまった。(そんなに臭くないだろうと思ったが、、)。僕がいて、こちらにやってきて、停止した彼を僕がどうすればいいのか、いや、僕自身がどうすればいいのかを考えた。道行く人は酔っぱらいなど、交通整理をしながら、「ねずみいます」などと言い、踏まれることを避けてしばらくを過ごす。くたびれてきた。靴の先でつっついても、あまり動こうとしない。道行く人にも「僕はどうすればいいですか?」と聞くが、的を得た返答はない。くたびれてきて、彼は大丈夫だと、勝手に決めて、お前はお前でいろ、俺は俺で行くと心で言い放ち、アイ・シャル・リターンとも思い、そこを離れた。

しばらく時間をおいて、人と待ち合わせて、そして出会って、ついでにそこを通った。あら、彼がもういない。僕だけがアイ・シャル・リターンをしたのだ。道には事故になった形跡もなかったので、自力で、もしくは、親切な誰かの指につままれて、本来の場所へと移動されたのだと思った。だが、近くで男性が電話で話す声が聞こえる「ねずみがさー・・・・」。彼は彼なりに、このあたりを賑わして、そして、ここを去った、もしくは去らされたのだと知った。

2008.11.03
category ; diary

さて、昨日仕事場に来訪者あり、と言っても、僕への来訪者ではなく、家人への来訪者。永世中立国から人来たる。家人の作品を見たいと、メールがあっての来訪。東京各所で行われているデザインイベントへの観覧にあわせてこられる。僕も家人も英語が苦手。家人は日本語、仏語のみ、僕は日本語のみ。でも、割と談笑。

前に書いた通り、関西へ行って来ました。来年の展示をするために場所を探しに、いくつかを回り、いくつかの予定の確定と、予定の検討の返答を得る。

場所というのは、箱だけが全てではないとやはり思う。そこの人、社会的位置づけ、場所の持つ雰囲気?カラー?も含めて、その「場所」と私は関係する。

僕は、既にあると認められる、集合に対して動機を持って、目指して行動しても、それが続く人ではないことを、やっと最近自覚した。それに気づくには遅すぎるが、今まで遅かった理由も同様にそれだったのだという顛末。なので、できるだけ、私から繋がる演繹的なやり方でないと、私には「何もできない」のである。さて、それを古くさいなぁ、懐古的だなぁ、ダサイがな、とも思うが、それについては、もはやどうでもいいとも思う。運動は始めてからが、運動の主たる部分である。

今回は、なんとなく自分がどれだけ透明になれる場所かを問いながら、場所を見てこようと思い、関西に向かった。この、透明さとは、匿名さと言っても良い、なぜならほとんど僕の固有名に、今展示を判断でする上で、先方に与える意味がないことを自覚しているし、それより、誰でもない私と、誰でもない誰かや、どこでもない場所と関係を始めたかったというのが、その本当の理由だった。理由の理由は、その方が驚きがあって、退屈でなく楽しいからという短絡的なものなのだが。と言っても僕の出身は関西。だけれども、僕は相当な方向音痴。毎度、はるかかつての時間にもどされる内臓電池の切れたPCのように、ある程度は毎度新鮮を感じることはできる。

かつて学生の頃、僕が建築をやろうと思ったのは(後、動機と同様の理由で挫折する)、そんな方向音痴の私自身が持つ、空間についての「わからなさ」からであったし、だからか当時も建築についての本より、朔太郎やベンヤミンに好感を持ったりしていた。今でも、自律性について考える時に、その始まりの運動には、迷走があると考えてしまう。僕にとって、自律性があると感じることは、僕がその運動があると信じることである。その運動の始まりは、不連続な時間を連続させて行くことであり、その始まりはある軋みを伴いながらある。軋みの中で、力は方向を持とうと迷走するように思う。それは盆踊りのような進まなさを持ち、同時に志村ケンのようでもある。そして絶えず運動は、それ自身を終えようとし、それに逆らい続けて運動を継続することは、絶えずその運動が始まりの状態であることでもあると思っていたりも、今はしている。今は。

まあ、ともかく行って来て、決めて来た。出会った皆様、本当に感謝。