title : 海辺/浜辺
date : 2008.9.22-9.27
place : moriokashoten (Tokyo)
address : 東京都中央区日本橋茅場町2-17-13 第2井上ビル305
忙しい感じなので、朝4時に起床。冷蔵庫にあったマカロニサラダを割とボール半分と少したいらげ、冷蔵庫にあったアイスコーヒーをコップに数杯のんで一息ついてから、仕事とか作業とか。ここのところ、食べ盛りなのです。さて、ウニの口は「アリストテレスの提灯」と呼ばれるが、他人ごととは言えこれは、残念な気分になることです。ウニ氏の考えが想像できるということはあり得ぬが、また僕がウニ氏になる予定も今の所ないが、口なのに提灯として、さらに、他人の固有名を冠して呼ばれるのである。これが「 アリストートル氏の提灯」等と、さらに古風に呼ばれたりすれば、さらにきっと僕ならげんなりなのである。まだ「アスリートの提灯」であれば、走っても消えない提灯のようで、特許出願中的で、なんとなく勇ましかったりするが、まあそれであっても、いかんせん提灯と呼ばれる口なのである。
展示のDMの入稿も果たし、ウェブにもインフォメーション等もアップしました。イベントのご入場を希望される方は原則予約が必要となりますのでご注意くださいませ。今日は、画材とパーツを買いに行かないと行けないような気がするが、行くか、行かないのかは、行くか、行かないかまで分からない。さて、ジョン万次郎のジョンが、氏ではなく名のような気がして、ジョン万次郎とはなんだか、おかしいと思ったことはないかい? 井伏鱒二氏が命名したこの呼称については、悲しいときになんかお元気がでる名前なので賛成するかな、とも思うこともできるが、他にも時々意味もなく口をついて、「伊東マンショ、ジョン万次郎、細川ガラシャ夫人」等と言っている僕は、やっぱり賛成派なのだと思う。最初に、子供の頃に教科書で伊東マンショという名前を見て発音したとき、学生の頃に読んだバタイユのエロスの涙の最後に収載されている中国の写真を見た時に似た、違和感と恍惚があったのは、なんでやろうかしら。
過日のこと、割とたくさんの郵送物を発送。郵便局へ行き、窓口に並ぶ。小さな郵便局だったので、郵便の窓口は一つしかなかった。そこの窓口に座る人は、腕に、ザ「研修中」と書かれたオレンジ色の腕章をつけていた。その後ろには、控えたその研修生を指導する人と思われる人がいる。僕が差し出した袋一杯の郵便物は、指導する人が前に出てきて数量と料金を計算した。しかし、研修生は彼が数量を数える間にも絶えず質問をし、その度に彼の手に握られたハガキの束は1から数え直される。研修生の問いに、彼は繰り返し親切に答える。気がつけば、後ろに客の行列。この日の場合は、後ろのおばさんは、80円の定型郵便を一つ握りしめ、無言の主張としてプリプリとお怒りであった。口で言えばよろしいと思った。改善の余地はおおいにあるが、こういったものは順番が原則である。僕が清算をして郵便局を出てブラブラと歩いていると、プリプリと早足で追い抜いていく女性がいた。後ろにいたおばさんだった。そして僕は、プリプリとは重心高く早足で歩く場合を指す言葉なのだなぁと思った。
ふんどし。これは僕にとって、なぜか頻度高く口にする言葉の一つなのである。本当に、この人様にどうにも見せられぬ尻を、選択の余地なく、一本の布という頼りない支持体にゆだねる時代に生まれなくて良かったと思う。ずさんに結べば、ほどけかけた片方の端を持たれ「えいやっ」と引かれ、そしてたぶんその程度で降参なのである。そのジリ貧からなんとか立ち上がり反撃を試みる場合、アシメトリーになったふんどしは、誰かを笑わせる程度には間抜けになっているに違いないと思う。チョウチョ結びもあっちこっち向いたり、ネクタイも長過ぎたり短過ぎたりする僕に、まさかふんどしを毎日美しく堅牢にしめきる自信はない。そんな、軽くふんどしコンプレックスの僕が、湿気にたるんだ空気の日に、スピーカーから流される軽薄なくらい軽く響く、陽気な和製ダンスミュージックを聞きながら、陽の暮れた道を歩いていた。そんな祭りの日、レッツ オンド アゲインな日に、あら、道ですれ違ったのは、蛍光色の緑色のふんどしをしめあげた男性だった。祭りなので神輿を担ぐ人だと思えばコスチュームとして自然だが、そのどうどうたる姿、感服いたしました。なんとなく降参でございます。しめてもしめなくても、どちらにせよ僕は、ふんどしについては万事、降参することにしている。
DMが刷り上がり手元に到着。かなりデータ上で写真の版をいじった割に、時間がなく、色校もあげてなかったので仕上りが心配だったが、思ったよりいい感じに仕上がった。宛名シールなどを出力して発送の作業をできるだけ早くする予定。
徹夜した日。昨日は仕事も夜そこそこで切り上げ、仕事場で化学物質をまきちらしながら作業。鼻の中まで塗装されてきるかもしれない状態ですが、本当は計画的に制作を進めて、やると言ったサウンドオブジェの制作を進めないといけないのに、それは放置したまま(できるのだろうか、できないかもしれない、また今度にして、あきらめようか、そして結局できなかった)、平面との自問自答の時間。まだ、DMに使えるものができていないというのは嘘で、昨日できました。今回のこれなら許せるという基準は、多少記号的とはいえなくてもそこそこの集合感があって、自分なりにこびすぎていないくて、その上で自分が出してもいいかなと思えることだった。本来このような、マーケティング的な思考は、本当にげんなりするが、いたしかたない。私は無所属新人、さらにおっさんとしても新人であるという、アンニュィな立場かつ加齢具合なのである。「真っ逆さまーに、落ちてデザイア」なんか、聞いて育った世代なのである。その加齢のせいかだからか、まず考えを巡らせてみたりもする。見る前には、なかなかどうして跳べない。その上、その考えた手段で意図する結果がでないことにも気がついていてはいるが、気分的に避けて通れず、結局意味なく考えを巡らせ、無駄に時間を使った上で、跳躍的な適当な仮説をたててから、「やる」という臆病者として老い方をしてしまった。その上、決定については、今回も搾取的に動員することになる家人に気を使い、何度も「これでいいかな?」や、「ちょっと、古くさくないこれ?」と確認して、これで行くとなって昨日完成した。ちなみに、その際に、少しでも気をそぐようなことを言われれば、不機嫌な顔でこれを取り下げるのである。取り下げる際は、だいたい、その言われた事が最初から自分でも気になっている点であることが多い。しかしながら、印刷で使用するものが出来たのだから本来は、入稿できるように文字を組んで、関係各位にPDFにして校正をかけてもらって、という必要な作業を後延ばしにし、また書いてしまった昨夜から今朝の時間。途中から、書く見るというより、画面にただ振れているだけの時間。なんじゃこりゃ。
ひとしきりやり作業をやり終えたと思うと外は既に朝。このまま仕事をしようかと思うと、タバコがきれたことに気がつき、それを買いに外へ。近所の酒屋はタバコも売っているので、そこでついでに買い求めたビールを、店の外で開け、飲みながら家へ向かう、すれ違う出勤途中の人々。何にも考えず開栓したことを後悔した。本当に恥ずかしくなり、手の面積を最大限使い缶を包み込むようにしてビールを持ち、それであることを隠すが、結局は心が折れた。今日は燃えないゴミの日。早々に飲み干して、道に出されているまだ回収されていない燃えないゴミの入れ物へ。非常に消極的な一気飲みである。なんとなくバツが悪い気分になって、家に帰って冷蔵庫を開けたらビールがあったので、それを今度はゆっくりと飲んでから仕事をした日。気分は最初からローダウン、一速にて走行、音は大きく燃費の悪い一日。