タイトル:中島佳秀展「光や、他人の家や」
大阪
会期:2010/9/1 水− 9/12 日
会場:itohen
営業時間: 12:00-19:00(展覧会最終日は18時まで)月・火曜定休
Adress:531-0073 大阪市北区本庄西2丁目14-18 富士ビル1F
T:06-6292-2812
アクセス:電車でお越しの場合
地下鉄谷町線 中崎町駅 2番出口より北へ徒歩10分/地下鉄谷町線・堺筋線・阪急電車 天神橋筋六丁目駅 6番、11番出口より西へ徒歩10分/地下鉄御堂筋線 中津駅 1番出口より東へ徒歩15分/JR大阪駅、阪急梅田駅より徒歩20分/阪急宝塚本線 中津駅 北出口より東へ徒歩20分/梅田駅より北西へ徒歩20分。
東京
会期:2010/8/30 月− 9/4 土
会場:森岡書店
営業時間: 月-土 13:00-20:00
Adress:103-0025 東京都中央区日本橋茅場町2-17-13 第2井上ビル305号
T: 03-3249-3456
アクセス:地下鉄東西線、日比谷線茅場町駅下車。3番出口。永代通りを霊岸橋に向かい橋の手前を右へ、古い戦前のビル3階
自分にとって家と言う、それは絶えず誰かのものだったという事に気がついた時間だった。それに気がついたのは、他人の家で見る朝の光を通してだった。この四ヶ月東京から大阪に越して、それだけが気がついた事だった。僕は今まで自分の家には、一度として住んだ事がなかったのだ。それが分かって少し安心した事もあった。また手を動かすまでの短い時間。家か部屋のある数だけ異なった光があるという事。
中島佳秀
75年生まれ。アーティスト、サウンドアーティスト、グラフィックデザイナー。
今回森岡書店では二度目の展示となる。
title : Presentation64 Skylla from Vienna
date : 2010.5.21.fri. 19:30open 20:00start
charge : Adv.2500 Door.2800
place : shin-bi
act :
SKYLLA(silvia faessler, billy roisz from Vienna)
NATIHO TOYOTA
yoshihide nakajima
スキラ:シルヴィア・ファスラー、ビリー・ロイズ
スキラはターンテーブルとギターでコンピューターが生み出す音の編み目を衝突したり傷つけたりするモンスターである。何年もバカなことを楽しんだ後、わたしたちはバンドネイムを”スキラ”と変えることに決め、デビューアルバムは“Mego”からリリースされた。わたしたちはコンピューターやさまざまな音響機器を使って音楽をつくる。ターンテーブルやサンプラー、エフェクターに時々ギターなども使う。わたしたちはウィーンにあるrhizを拠点に活動している。一緒にDJをしはじめて、シルビアは日本のノイズコンサートをオーガナイズし、ビリーは飲みをつくった。2003年最初のライヴでは、the duo sillyという名で演奏を行った。
NATIHO TOYOTA -豊田奈千甫
2000〜2006年のBABY-Q DANCE COMPANYの全作品の音楽を担当、以後楽曲提供。ELECTRONICA、NOISEなどを消化し、空間を立体的に考察したサウンドデザインを行う。大阪HEPHALLプロデュースによる演劇「ハムレット」他、演劇、パフォーマンスの楽曲を制作。2010年1月、ノンバーバルパフォーマンストライアウト公演『ギア(仮)』、2月、東野祥子ソロダンス「VACUUM ZONE」の音楽担当。また2009年からバンドWATER FAIのドラマーとしても活動。
yoshihide nakajima で、僕です。
どんなセットになるかは未定ですが、久しぶりにオシレータ持って行こうかなとか、ギターと8の字×2の4chフィードバックとか、ともかく具体音じゃないセットでやろうかなと思っています。悩み中。
詳細・予約ははコチラよりご覧下さい。
毎日が同じような僕にも、
この今日と明日は、僕にとっては特別な両日となる。
家が終わる日で、部屋が始まる日。
さようならで、そしてこんにちわ。
そんでもって全てに感謝。
僕が時に痛々しく見えてもそれは傷ではなくて、
生まれたての不自由さのようなもの、
世界との関わり方をこの歳になって模索しているという
たどたどしさと思って頂いてかまわない。
さしずめ、ここは僕自身の痰壷のような場所と化しつつあるなと思う。
読まれた皆様、ほんとすみません。
ある男の心的調律の為、設置されたどどめいろの痰壷だと思ってお許しください。
許せるかい!!
というのごもっとも、しかしながら、何の為?と聞かれても、それは困る。最初はこんなつもりで書き始めたんじゃなかったんだから。だったら辞めればと言われたらこう答える。自分についてはともかく、他人に関る事についてはある程度、客観性を持って書いてますから、僕が聞いた、または経験した事実から大幅に間違っていることはないはずです。なお書いた事実、情報源が間違っていた場合は訂正します。お申し付けくださいと断った上で、書くのも書かないのも僕の自由ですという。
そして昨日あった事は僕の波は、今日の夕方に解消した。「頼むし普通にしてくれや。どうせもうすぐ終わるやん。ハキダメみたいな時間に巻き戻してどないするつもりや。このアホが、時間を進めさせてくれや、このノータリンのクソボケが。」と、ふて寝をしているあいつに言ったら、言った自分の台詞に笑えて来た。あいつも途中から笑っていた。時に相手を罵倒する台詞を言おうとし、なるだけ過剰に罵倒しようと言葉を探した結果、滑稽な組み合わせで言葉を投げつける事がある。それはどんな雰囲気を台無しにするくらいのユーモアを持っていることがある。僕はこれで良かった。笑う事さえ出来れば、僕は救われる気分がした。僕も人の事は言えない程度には、自己中心的な人間だと思う。なぜなら、僕は結局、笑いたかっただけだったから。
だが、昨日に書いた事は嘘でなく、その時は本当にそう思った事だから書いた事は消しやしない。
ある一定の一方的に下降しがちなダイナミズムをはらみながら、グダグダでボロボロで、でも前向きに這って行くような自分の時間は遅い。絶えず逆行しようとする。それに逆らうのは時に困難な事だ。だが笑うことが少しその問題を和らげてくれることがある。ひさぶりにバフチンの本でも読もうかと言う気分になったが引越がめんどくさくて、それどころでなく大変お困りの自分。
と、その一昨日前。
以前、大阪での展示でお世話になった伊藤桂司さんと飲みにいった。色々と話してベロベロになって渋谷から始まって三宿にいた。とても楽しい時間だった。翌日、二日酔い、やっぱ立ち飲みはきくっす。ほんと楽しかったです。感謝!!ありがとうございます。
その昼間には引越屋も決めた。随分と値切った、値切り交渉は僕の好きな事のひとつ。ただし片付けは全然進んでいない。
人に会い色々と話して、着実にひとつひとつを終えていっている今。昨日家と呼べない場所で起こったような、嗚咽のような気分は、正直もう味わいたくない。なぜなら僕は前を向いているのだし、それを他人に邪魔をされたくない。他人なら他人らしくフェアに接しろといいたい。俺の気遣いを無言のまま期待するな。俺がそれに反応したら俺の倍凹んだふりをするな。正直、お前のそういう所は他人としてさえ大嫌いだ。頼む、俺のここを、もう少しだけ、静かに終わらせてくれ。早く次の場所に行きたいと、心底思う。
昨晩、心がポキリと折れた。シガーチョコのように軽くて脆くなっていたのか、心は軽い音を立てて折れた。別にこの半年に比べれば、さして何があったわけでもない、後少しの時間、同じ空間にいる人からその時に伝わった、僕を疎外したい気分がそうさせた。もう、こうなると、僕は本当に、なにも手が動かなくなる。
彼女は、この半年、どんな約束も守らなかったし、今だってそうだ。自分の都合の悪い事になると、すぐに顔を曇らせ自分の意思を主張する事を怠らない。それを見て自由な人だなと思う。この半年、僕があいつを憎めれば殺すことさえ出来たかもしれないが、そんなふうに憎めもしなかった。ただ自分が壊れていく時間だけが過ぎた。そのぶんあいつも壊れただろうし、そう主張もされた。ただし、あいつには逃げる場所もあったが、僕がどんな逃げ場所も失った事だけは確かだった。そして呆然としていた。ただある日に、それを受け入れることを誓って部屋を出て、残された時間をフィクションのようだったが随分と楽しく過ごしていた。でもそれで十分だった。
昨日の彼女の勝手を責める訳でもない、よくあることだ、些細なこと、かすかに触れられたもので僕だけがポキリと折れたのだ。だけれども、もう僕が同じ場所には戻れないこと、戻りたいと思わないことを知りながら、一体あいつは何で、こういう気分を、僕に伝えたのだろうか。ただ、夜ご飯を食べていた。不機嫌そうな顔をした彼女に、もう他人になった自分とご飯を食べることが、そんなに嫌なのかなと聞いた。嫌ならそう言えばいい、だったら僕は外でご飯を食べてくる。それに言わせてもらえば、僕もお前という他人のせいで全ての場所を失ったのだと言った。そしてどうしようもない気分で眠った。だけれども起きても心は折れたままだった。もしかしたら元から折れていたのかもしれない。
来月から住んだ事もない街に住む。今やっている仕事だけに関して言えばコストと時間面でのリスクは大きくなるだけ。だが、そう決めたのは、この今いる東京にあいつと共犯でありながら、誠実に僕が話す声にさえ怯え、電話を通してさえ僕と話しも出来ないヘタレの男の声が「ある」ということを思うと、こんなクソ忌々しい場所にはいたくないと思ったからだ。後の理由は、それを事後に正当化する為に付け足したにすぎない。自分が傷つきたくないからって、他人を生殺しにし、それで自分がやさしいと思い込んでいるような、クソの声が「ある」場所にいたら、俺の誓いが報われない。もう誰も憎まない、この事で悲しまないと決めていたはずなのに、嗚咽のように込み上げて、僕を締め上げるこの気持ちはなんだろうと思う。僕に彼女を私有したいという欲なんかもうないのに、なんやねんこの気持ち、ほんまけったくそ悪いわ。
今日のこれは愚痴です。眠りは心を濾過してはくれず、最悪の気分のまま目が覚めたという日。
新潟での展示風景を更新しましたので、左exhibitionからご覧頂けます。
しかし、僕が書いたものでも、額装すると立派になるものだと感心する。普段デザイン仕事をしている事が多いから、平面ではデザイン以外の事をしたいと思っているが、その以外っていうのがくせ者で曖昧。ただ構成する恣意が強く働きすぎると、なんとなく先行きが見えて心持ちげんなりするので、そういう気分になると画面を壊す。で、ある時点でストップさせる。でも最後に額に入っておさまりがよくなるのだけは、なんか許せるし、納得できる。良い服を着せてもらいましたね。それでは行ってらっしゃい。また、いつかどこかで会いましょう、という気分になる。
昨日眠る時に、本棚にさしたまま、ずっと読まなかった福永武彦の「海市」を読もうとして開いたが、その瞬間一頁もめくらずに寝ていた自分。海市とは蜃気楼の異称らしいが、蜃気楼は見ずに、僕は僕の夢の中にいて、なんとも困った内容の夢なんかを見たりもしていた。それで起きて蜃気楼を見に行きたいと思ったりもした。
僕は大阪に来月から拠点をうつす。今後も東京とは頻繁に行ったり来たりをするつもりなのだが、ひとまず大阪に住む事にして物件も決めた。だが移動、引越については、実は何の用意も出来ていない。極力荷物は減らして何も持たずに行きたいと思っているが、戸棚をひっくり返すと、なんかよく分からないガラクタばかりでてきて、それを眺めながら、これ、、いつ買ったやつやっけ? これ何? って、笑って話したりしている。もうこの10年に撮って人が写った写真は一枚もなくなっているので、それを悩むことはない。だから、そのガラクタだけを、これはお前これは俺という、仕訳作業を深夜に少しした。でもまだ未決の物が山のようにあることは見ない事にしている。人生で7回目の引越、ラッキーセブン。京都には長く住んだが、大阪は初めて。初めて住む土地での、未だ見ぬ見ぬ生活。海市のようにおぼろげで、それはゆらいで見えたりもするが、そこに船を進めることを自分が躊躇いはしないということだけは分かっている。
かつて地球が丸いって分かって、宗教上の理由以外で、その「狭さ」に故に、がっくりした人はどのくらいいるのだろうか。人がぐるりと手をつないで世界の平和を願うイメージができる程に地球は狭い。船を無限に漕ぎ出せば、ここに幾度も辿り着いてしまうという、その丸さ。その狭さをできるだけ広く感じる方法だけを、最近は考えているように思う。
最近何も書いていなかったのは、とても忙しかったからで、仕事やらなんやらそれやら、それは悩殺にあらず忙殺。
東京京都のトンボ帰りでライブ。共演者の中ではyabemilkくんのライブが好みでした。自分とは全く違うスタイルですが、やっぱ地力があると思ったし、なにより説得力のある出音やと思いました。自分は?というと具体音のみのセットで結局やった。システムはマスターブラスターSP4が2chに、フロント2chローボックスに、10w程度のギターアンプをフルテンセッティングで、2つ追加して点音源として使用。全体としてはまずまず。自分で少し満足できる内容だった。こうやってパフォーマンスを続けながら、インプロながらも一つのセットを追い込んで行くという方向性が性分にあっている気した。今までは一回性のモデル化という意識を持ってパフォーマンスを継続してきましたが、その中で見えて来た事を分化して、今後ちょっとセットを幾つかに分けようかと思ってます。どうせ数年後には自爆してるだろうし、その時それはまた組み直せば良いだけだろうし、ドラフトやめて前進を少し心がけることにしようかと思った京都。リハ当日入り、ライブ終わり、田村さん家に泊まらせてもらってshin-biに一緒に出勤して、下のカフェで色々話しながら昼ご飯をご一緒して東京へ戻るの巻。田村さんが「もしかすると、すごく良かったかもしれん」だったかな、とライブ直後、はける時にボソッと話されたのが嬉しかった。
次月もshin-biで、やらせてもらうけどその時は、アナログ爆音セットでやろうかな。。と、先に書いた事と違う事も書いている自分。ともかく田村さん、共演者の方、聞きに来て頂いた皆様、ありがとうございました。感謝。
帰って一度家へ戻り仕事と雑務を片づけて、evala君の落合Soupでのライブに行く。伊藤さん等のパフォーマンスは見逃したのだけれども、何とかevala君の出番には間に合った。システムはターボサウンドのSR、ミッドハイ4chフロントにローボックス2ch。チャンデバやアンプ等は見逃していた。あのSPはパワードじゃないと思うんだけど、確認してません。比較的小さな箱だが、そこに広帯域で十分なエネルギー量で満たされる音。そこにあった音、位相、ダイナミクスの選択の全てが彼らしいと思ったし、ずっと聞いて来てなお、いややっぱりとても好きな音だと思った。それとそれらが僕の耳に届いて響いてちょっと感動した。そしてアンコールを求められるラップトップのライブも初めて見た。皆知ってるやろコマンドQでプログラム閉じてる事ぐらい(笑)。でも、皆分かっていても言いたくなるくらい、それぐらい内容が素晴らしかったということなのだと思う。それは本当に素晴らしい事だと思う。
それと、6月にとある素敵なコンサートの音響面での手伝いをする予定。またリリースが許可された時点で告知をします。
この多忙さにおいても、出現するふとした時の自分の意識の怠惰を、本当にチューニングしたい。来月からは住んだ事のない街に行く。今の所、そこでの計画の具体性はあまりない。ただ、そこで僕は僕を整理し、今後の自分を自分で決めるのだと思っている。一つ決めたキーワードは「tent」。ノマドとか遊牧とかそういう流暢になってしまったアカデミックな記号ではなく、自分の身丈にあっているのは、なんとなくテント。そういやそれで名刺を作りなおさなきゃなんだね。
タイトルの「負けないぞ未来」というのは、うる覚えなんですが、吉増剛造の初期の詩に書かれた、一節だったような気がする。と言う事で、自分ではそうでもなくても、他人に暗く見なされる事については、本当はもう書きたくない気分で、いく!
とは、言え既に過去にあった気分を隠しても、意味がないと思う。でもね、それに先日までの気分を通じて、やっと分かった歌もあるです。友部正人さんの「涙」という歌。一方的にファンなだけですが、友部さんは僕が最も敬愛する素晴らしいミュージシャンの一人なのです。
その涙という曲の一部を引用すれば、「向こうのホームに君がいて/こっちのホームにぼくがいる/二人の行き先が反対だったら/ぼくら仲直りできた//だけどぼくらは一緒のホームで/同じ電車を待ってた/それでぼくらは口がきけずに/涙ばっかりこぼれた」ずっと聞いてきて、自分に訪れた変化を受け入れて、たまたまふと歌をそらんじながら思い出していたら、それが一歩自分の奥に進んで来たようにして、理解ができた歌というのは、この歌が初めてでした。
おい俺!!
まだシミッタレとるやんかいさ!!
ああそうよ、それを肴に酒が飲みたいだけかもね!!
でも、平行して恋のバッティングセンターにも通っとるからね!!
昨日中井君とスカイプで打ち合せをしていた。彼はリスニングオーディオ制作のプロで、ミュージシャンだけど、その中で思った事があった。音、または音楽におけるS/Nというのは、シグナルが0の時のノイズは客観的に観測できるけど、シグナルが存在する瞬間から、その双方の境界は、主観的なものになる気がするです。だからシグナルを定義する主観によってノイズも当然変わる。例えば、いわゆる音としてノイズがあるという場合、それはシグナルと同様、ノイズも波形の振幅を伴ってある。ですので極論、主観以外で、その振幅だけを見て、シグナルとノイズの選択はできない。だからある極端な定義をして全ての振幅をノイズ扱いにすれば、直流こそがシグナルとなる。つまり無音。定義を変えて、ある種の運動性をもった振幅をシグナルとすれば、そこから外れるものはノイズとなる。でね、思ったのは、シグナルノイズを切り分ける、この主観こそが音楽なのだろうというロマンチックも言うて見る。こんな事は先に誰かが考えてるだろうし、科学的な実験の手続きであれば当たり前の事なのだろうけど、自分にとっては深夜の目覚めだったりした。
後は仕事忙殺、三茶で飲んだり×2という感じの日々。
免許の更新行かなけりゃだったりなのに、明日から一泊で大阪。自分に幸運を。